現代日本社会、女性たちのいま

  • 2018.05.26 Saturday
  • 09:52

 

 知識というのはそのときどきに自分がもっている認識フレームという色眼鏡で偏って理解してしまうことがある。10年前に読んだ本を読み返したらまったく別の感想をもったということはよくある。それは、10年の歳月の間に積み重ねた経験が、私に新しい眼鏡をもたらしたということだ。友人が小学生の時にミヒャエル・エンデの『モモ』の読書感想文に、「時間は大切だからしっかり守っていきたいと思います」というようなことを書いて、大人になってその感想文を読んで驚いたという。エンデが『モモ』の中で書いていることは、その真逆にあることを知ったからだ。しかし、小学生の彼女はそう書いた。なぜか。学校で「時間を守るように」と教えられているからである。彼女は相手の期待を読むのが得意な人だった。その彼女は成人した後10年間ほど、うつに悩まされた。

 

 彼女も私も、1970年代生まれの団塊ジュニア世代だ。近代核家族という、日本の歴史上これまでになかった家族形態の中に生まれ育った。近代核家族とは、父と母は恋愛結婚で結ばれ、お父さんはサラリーマン、お母さんは専業主婦、子どもは病院で産み、連綿と続いてきた日本の妊娠・出産・産後と子育ての叡智からは引き離された西洋医学と国家の管理の元に子どもを育て、子どもは23人でその子どもたちは13年という短い間隔でもうけられ、マイカーマイホーム一家団欒の幸福ドリームに特徴づけられるような家族のことをいう。

 

 第二次大戦後(もっと言えば明治期から)、日本社会は西洋近代文化を取り入れていくという方向を選んだ。生活様式や生活水準という物理的側面は劇的に変わった。しかし、心性など内的側面はまだ追いついてきていない、いまなお過渡期だ。過渡期の時代に、日本は「母性」についてアカデミズムや社会運動で議論が盛んにおこなった。平塚らいてうなどの初期の女性運動家の中には、「母性」を尊重することを主張する人もいたが、その後の議論のほとんどは「母性」は社会的に構築されたものだとして解体させようとするものだった。

 

 そもそも「母性」とは何か? 子どもに対する愛情のことを言うのか? だとしたら子どもを愛せずに苦しむ母はどうしたらよいのか? このように、苦しみの中にある女性を支えようとする議論に、私は賛同する。しかしながら、その女性たちの間で、母性をめぐって何度も何度も繰り返され永遠に平行線を辿るように思える議論に、私はそろそろ辟易してきた。

 

 さらに、自分が子どもを産んで、まさにらいてうが言ったような「魂の底から湧き上がってくる子どもへの衝動」を経験したいま、母となった私に生物的な領域での変化がおとずれたことは否定のしようがない。同時に、日々日々繰り返される子どもとのやりとりにぐったりして悶々とする日があるのも事実だ。日々の子どもとのやりとりには、メディアで誇張される「幸せイメージ」からは程遠いような感情が湧き上がることもある。

 

 なぜか。それは河合隼雄が言うように、西洋文化を取り入れた私たち日本人、とりわけ現代女性には「個性化」という自己実現と、命を育てようとする生物的反応とのバランスのとり方が課題として浮上してきているからである。さらに、そういう課題に直面している女性への夫や男性の理解のなさが加わると、もはや出口のないトンネルにいるように思えることもある。

 

 なんとなく、こうしたことに人びとは気づき始めているので、女性の社会進出は保育園の増設とともに進められている。女性が自己実現すれば問題は解決するのか? ある程度は、すっきりすることもあるだろう。しかし、一方で、それまでキャリア組で働いていた女性の中にも、出産後、子どもを保育園に預けて仕事を継続したものの、結局、仕事を辞めたという母も実は多い。私もそのひとりだ。友人の中には、二人目を授かり上司に報告したところ、「今回は産休だけしかとれないから」と言われ、会社を辞めたという。また別の友人は、保育園に入れたらOKというわけではなくて、洗濯物や連絡帳などやることが増え、病気になった時の仕事との調整など、別のたいへんさが出てきたともいう。

 

 私たちが見逃しているものは何だろうか? 子どもを産んだ女性が、いつ仕事に復帰するのかその時期を自分で決める働き方はないのだろうか。働き方を変えようと思ったら、これはシステムの変革が必要であるから、長期的な視野で取り組む必要があろう。しかし、その一歩はいつも誰からの本音から始まることを信じている。

 

 これまでの日本社会では女性たちはその自我を表現することを巧みに抑えつけられていた。家父長制というのもそうだ。母型社会である日本の中で、母と娘の結びつきを切り夫との婚姻関係を育むための仕組みでもあった。「私」というものを「イエ」と同一化することで人びとが生きられてきた時代の話だ。いまは違う。私たちは「イエ」を捨て、個人主義・合理主義を取り入れたのだ。そうした時代の中で、「私は何者か」というところでつまづいている人たち、必死にもがいている人たちがいる。その人たちは次の時代を切り開こうとする先見の明をもった勇敢な人たちだ。

 

 勇敢な人たちは苦しむ。この苦しみをしっかり経過したい。それは、批判や否定によっては経過できない。「等身大の自分を生きること」によって、次の時代は切り開かれる。そのスタートラインに立つために、私はどうしても、子どもと男性をごちゃまぜにして敵対視してきたフェミニズムの議論を、男性のことと子どものことは別の話だと、きちんと切り分けたいのだ。

 

 子どもというのは命のことだ。誰かの手を借りねば生きていけない命のことだ。労働市場で生産活動ができない命のことだ。不思議なことに人間はこうした「弱きもの」に手を差し伸べる志向性がある。老人や障碍者たちにも手を差し伸べる。国家システムはそのものたちをみなで支えるために創られてきたはずだ。

 

 近年、脳科学の分野でも子どもの泣き声を母親は聞き分けられることなど、そのときに脳の特定の部位がさかんに反応していることなどが明らかになってきた。子を産んだ女性の身体は、出産直後それまで子を包んでいた胎盤を排泄する代わりに、子どもが母の腕の中に包まれながら飲む母乳をつくっていくように、瞬く間に劇的に変わっていく。

 

 ボウルヴィなどの愛着理論が明らかにしているように、子どもには重要な養育者との愛着関係が必要だ。とりわけ乳幼児〜幼児期の重要な養育者との間で「調律のとれた応答」がなされるかどうかは、その子どもの心身の育成を大きく左右する。身体はそれなりに成長することもあるが、思春期以後、パーソナリティ・ディスオーダーとなったり精神疾患となることもある。

 

 ボウルヴィが丁寧に記述しているように、重要な養育者を「母」とは必ずしも書いていないことである。もちろん、母は子どもを産んだ瞬間から子の命を育てるための身体的変化が始まるので、多くは母が子の重要な養育者となろう。しかし、さまざまな事情で母が子どもをみることができない場合にもある。もうひとつ、重要なことは生まれ育った定位家族の中で得られなかった愛着関係は、人生を歩む途中のどこかで出会った安定した関係性の中でやり直すこともできるということだ。

 

 私たちが「母性」というときにイメージしているのは、おそらくボウルヴィがいうところの「調律のとれた応答」だといえる。それは、共感に満ちたやりとりであり、自分の心をひとつひとつ受容し映し返すようなやりとりだ。「私」が受け取られた、という感覚をもたらすものだ。「私」が受け取られたという経験が、「私」が安心してこの世界にいてよいのだという存在論的な承認を導く。

 

 ここで述べたようなやりとりは、近年、老人介護の分野でも着目されているものだ。三好春樹は「介護職の最後の仕事は何かというと、このいちばん深くぼけていった痴呆性老人のニーズである「母性」にいかに応えるかということになる」と述べているが、三好のいう「母性」も上述したものにあたってくると思われる。

 

 介護の領域でもそうとなると、私たちが「母性なるもの」の執着を手放すとき、そのありのままの姿が見えてくる。霊長類を研究している山極寿一は、ゴリラの父性行動の中に母子への「共感」行動を観察している。ゴリラの父性行動は、心理学がいうとことの「父性」――切る、抑圧するなど――とは異なり、私たちが「母性」と呼んできたものに近いものがある。「この共感によって人類は生き延びてきたのではないか」と山極は仮説を提出している。

 

コメント
コメントする








    

calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< November 2018 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM