母は責められる

  • 2018.05.26 Saturday
  • 11:19

 

 現代日本社会では、とかく母は責められる。電車に母子で乗っていると、子どもの素行に口を出したがる人がいる。たいていは中高年の男性だ。ときどき、少女っぽさを残した中年の女性もいる。

 

 子どもが走る電車を見て好奇心を出していると中年の男性に「うるさいなぁ!」と言ってこられたことがある。この男性は、子どもに「周りの人に迷惑がかかるから静かにしなさい」と言わない私に文句を言っているのだろうか? それとも子どもに言っているのだろうか?

 

 おそらく母である私に言っているのだ。たいていこういう人は、母である私の顔を見て言ってくる。「躾がなってない」とでも続きそうだ。本心からそれを言いたいのは私ではなかろう。本音を言うべき相手は他にある。

 

 別の時、これは私がまだ子どもを産む前の話だが、新幹線に乗っていた母子の子どもが泣き止まずにいたとき、ある女性が「泣くならデッキに行ってくれます?」とその子の母に言った。このときは実は私も内心「ああ、静かになって助かった」と思ってしまった。母となったいまは、懺悔したい出来事だ。

 

 たいてい母子だけで行動していると、こういう目に遭う。ここに父がいると、子どもがどんなに騒いでも文句を言われることはほとんどない。なぜだろうか?

 

 ユングが言うところのグレートマザー元型に社会全体が引っ張られていることも関係するだろう。本来は自分の生みの親と対決すべきところを対決せずに、自分の心の部分的な闇をすれ違った母たちに投影しているのかもしれない。家庭内で父親としての居場所がないからと、通りがかりの母たちに居場所を求めているのかもしれない。

 

 こうした、母が責められる社会環境でそうこうしているうちに、母は「世間に迷惑をかけないように」という観念を子どもに植えつけ始めることになる。自分が責められたり、文句を言われたりしないために。要するに、母は世間によって傷つけられるのだ。母のその傷は、最も弱い子どもへとしわ寄せていく。

 

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